といっても、ブルキナファソがどこにあるか、同じアフリカ大陸に住む南ア人でも、地図上で正確に位置を示すことができる人は少ないだろう。
フェスパコはアフリカ最大の国際映画祭。歴史も古く、1966年に始まったカルタゴ映画祭に次いでアフリカ大陸で2番目。サハラ以南アフリカでは最古の1969年だ。
いくつものクーデターや長期独裁政権を経験し、一人当たりのGDPが世界平均の10%未満の水準という貧しい国で、政府のバックアップがあるとはいえ、国際映画祭が50年近くも継続していることに驚く。
「国際映画祭」といっても、「パンアフリカ」つまり「汎アフリカ」の名に違わず、応募資格はアフリカ人制作の作品。アフリカの映画界で働く人々に、ネットワーキング、意見交換、作品発表の場を与えている。
オープニングの会場は国立競技場「Stade du 4-Août」だ。
第1回の1969年には、ブルキナファソ(当時の国名はオートボルタ)、カメルーン、コートジボワール、ニジェール、セネガルというアフリカ5か国(いずれも旧フランス植民地)、それにフランスとオランダから計23の作品が上映された。(当時はアフリカの国でなくてもよかったのだろうか? それとも製作者がアフリカ人?)
第2回の1970年は、アルジェリア、チュニジア、ギニア、マリ、ガーナも参加し、全40作品が上映された。
最優秀作品賞の発表は1972年から。栄誉に輝いたのは、ニジェールのウマール・ガンダ(Oumarou Ganda)監督の作品「Le Wazzou polygame」。1973年からは2年に1度の開催となり、また1985年からは、毎回違ったテーマを設定するようになった。
世界的に有名になるにつれて、予算が拡大し、スポンサーも増えた。ブルキナファソ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、中国などの国家に加え、ユネスコ、ユニセフ、EUなど国際機関からも助成金を得ている。
最優秀作品賞には「Étalon de Yennenga」(「イエネンガの種馬」の意)と呼ばれるトロフィーが与えられる。イエネンガはブルキナファソ国民の約半数を占めるモシ族の王女で、モシ王国創立者の母。ブルキナファソの国母とみなされている。戦う王女という伝説にちなんで、槍を片手にした馬上の像となっている。
フランス語圏アフリカ諸国からの参加が多いが、南アフリカ、エチオピア、ナイジェリアなどからの作品も、これまで最優秀作品賞を受賞している。
今年のフェスパコをアルジャゼーラ(Al Jazeera)が紹介していた。
今年は105作品が上映されるとのこと。アフリカの現実を見つめた「深い」作品が多そうだ。3月4日まで。
【関連ウェブサイト】
FESPACO
日本ブルキナファソ友好協会
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