開園したのは1993年。約7ヘクタールの広大な敷地に、江戸時代から昭和初期までの復元建造物30棟が建ち並ぶ。この地には1991年まで「武蔵野郷土館」があったとか。
「江戸東京たてもの園」の街並み。正面奥の立派な建物は銭湯! |
昔の家の造りはしっかりしている。何事にも凝る性分の父が念願の家を建てた時、材木商に行って、使用する木材を一本一本選んでいたのを思い出した。そんなことをする家庭はもう珍しいかもしれない。
復元された農家、網島家(江戸時代中期)と吉野家(江戸時代後期)には土間がある。そういえば、田舎の祖父の家は農家ではなかったが、台所は土間にあった。土間には井戸があった。アパート暮らしだった小学生の私には、覗き込むと吸い込まれそうな古井戸がちょっと怖かった。
「日本の家は土足厳禁」が現在ではほぼ鉄則だが、それほど遠くない昔、台所は土足だったのだ。逆に、「西洋では靴を履いたまま家の中に入る」と日本人は考えがち。しかし、フィンランドなど、玄関で靴を脱ぐのが普通の国もある。
高橋是清が暗殺された部屋で、太平洋戦争への道のりに思いを馳せた。40歳くらいの女性が「ねえ、この人知ってる?」と連れの男性に聞いていた。歴史が忘れ去られるのに時間はかからない。
「鍵屋」外観 |
「鍵屋」という居酒屋で、ボランティアのおじさんに声を掛けられた。「『千と千尋の神隠し』、観ましたか? そこの椅子で、お父さんとお母さんがブタになったんですよ。」
「鍵屋」内観。左はボランティアのおじさん |
この居酒屋の内装をアニメ化したとか。
椅子は樽! |
「三省堂」(さんしょうどう)という文房具屋の内装が、釜爺(かまじい)の仕事場として使われた、とも教えてくれた。この2か所を観るために、外国からのお客さんがたくさん来るとのこと。
「三省堂」内観 |
そうか、ジブリとはつながりがあったんだ。「ジブリの立体建造物展」が開催されているのも頷ける。
建物以外の展示物もある。
例えば、「午報」。江戸時代の「時の鐘」に代わって、明治~昭和初期に使われた大砲だ。正午のお知らせに空砲をぶっ放したなんて、なんとなく痛快である。また、紀元前2000年(縄文時代!)の住宅跡には感動した。
縄文時代の住宅跡 |
この日は快晴で、日差しが強すぎるほど。「帽子、持ってくればよかった」と悔やんでいたら、日傘をみつけた。内部に入れる各建造物の前に傘立てがあり、雨傘と日傘が置いてある。細かい心遣いが嬉しかった。
【関連ウェブサイト】
江戸東京たてもの園
江戸東京博物館
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