私(わたし)的には、「琉球古武術保存振興会」と「唯心会空手道」の発祥の地。創始者の井上元勝(1918-93)は明治の元老井上馨(1836-1915)の娘千代子と桂太郎首相(1848-1913)の息子三郎の子息。歴史学者、井上光貞(1917-83)の弟でもある。
井上家は長州藩の武士だったが、明治維新後、政治家、貴族(侯爵)になり、清水に別荘があったらしい。総本部が東京に移るまでは大勢の弟子を抱える道場だったそうで、「井上道場」を覚えている年配の方々に何人も出会った。
清水市は2005年、静岡市に併合され「清水区」になった。「城下町」静岡と「漁業の町」清水は気風が全く異なるため、ミスマッチングな合併、とは「清水もつカレー総合研究所」所長のお姉さんの弁。「静岡の人は清水を見下している」と感じているとか。(サンプル数が少ないので、どのくらい一般的な意見なのかは不明。清水、静岡の皆さん、どう思いますか?)
宿泊先から港方面に歩いていたら、こんなクラシックな建物にぶつかった。
「清水次郎長の船宿」とある。「この建物は、明治19年、清水次郎長(山本長五郎)が、清水波止場に開業した船宿「末廣」の部分材を利用して、明治時代の船宿の面影がしのばれるよう復元したもの」だそうだ。
中には等身大の次郎長像。身長5尺2寸。157.56センチ。「低いように思うかもしれないけど、この時代の人としては普通」(係の女性)だそうだ。
2階にはこんな復元模型。
なんと、次郎長創設の「英語塾」! 自分は無学だったが、教育の大切さを理解していたとのことで、旧幕臣の新井幹が明治7年(1874年)に開いた私塾「明徳館」の一角に、次郎長が英語塾を開いたというのだ。(写真の左の「団体席」という看板の意味がよくわからない。)
大政、小政、森の石松など屈強な子分「清水二十八人衆」を率いる「ヤクザの親分」だけの存在ではなかったのだ。
俄然、興味がわく。近くに次郎長の生家があると聞いて、足を延ばすことにした。次郎長が産湯で使った井戸などが当時のまま保存されているという。
清水次郎長(しみずのじろちょう)は1820年2月14日生まれ、1893年6月12日に死去した幕末・明治の侠客(きょうかく)。生家で土産物を売っていた女性は「次郎長はヤクザではなく侠客」と強調する。
『広辞苑』によると、
「やくざ(もの)」=「①ばくちうち。②性行のおさまらない人。怠惰で役に立たない人。無頼漢。不良の徒。」
「侠客」=「強きをくじき弱きを助けることをたてまえとする人。任侠の徒。江戸の町奴(まちやっこ)に起源。多くは賭博・喧嘩渡世などを事とし、親分子分の関係で結ばれている。」
なるほど。
次郎長の生家に「次郎長のあらまし」という説明があった。
次郎長は当家 高木三右エ門の次男として生まれたが、八才の時、母親の弟で、近所で米屋を営む山本次郎八の養子となった。次郎八のところの長五郎が「次郎長」のニックネームになり、渡世人になってからは土地の名をつけて「清水次郎長」と呼ばれた。
幼少の頃はワンパクが過ぎて持て余し者だったが、十六才の時養父の訃にあい、家業に精を出すが、旅の僧に二十五才までの寿命と予言され常道からはみだした。二十三才で米屋を実の姉夫婦に譲り度に出て、その後の二十五年間は浪曲や映画で語られるアウトローの途を続けた。
しかし、明治維新を機に、山岡鉄舟、榎本武揚、広瀬武夫、大山陸軍大臣、小笠原長生等の偉人と交わってからは、様々な社会事業に熱心に取組み、地域に多大な貢献をした。
前半生は博徒であったとしても、人の功罪は死して後に定まるとすれば、信念をもって地域に尽くした人情家、社会事業家としての晩年の次郎長は賞賛に価するといえる。
無責任な予言をして、真面目に働いていた米屋の旦那に人生の足を踏み外させた、この「旅の僧」ってあんまりじゃん。「長くてもあと2年の命だから」と、多分ヤケになって、23歳でアウトローになったのだろうに、予想に反して2年で死ぬことなく、更に20年以上も渡世人として生活していたわけだ。明治維新がなかったら、堅気に戻りたくても戻れない一生を送ったかもしれない。明治を待たず、アウトロー時代に命を落としていた可能性だって大いにあった。やっぱ、この坊さん、無責任!
次郎長のお墓は、やはり清水の梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)にあるとのこと。傍を通ったが、かなり立派で新しげなお寺。ちょっと腰が引けた。
ところで、静岡県は「健康寿命」(healthy life expectancy)が日本一だそうだ。女性が第1位(75.32歳)、男性が第2位(71.68歳。1位は愛知県)で、総合第1位。「健康寿命」とは「健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間」のことで、平均寿命から自立した生活ができない期間を引いた数。WHO(世界保健機構)が2000年に使い始めた。日本人の健康年齢は世界一だから、静岡県人の健康寿命は世界一!
一体何故、静岡県人は健康で長生きできるのか。
静岡県の特徴として、地場の食材が豊富・御茶を良く飲む・メタボの人が少ない・県民所得が高い・働いている人が多い・医療費が低い・温暖な気候などがあり、そのことが【健康寿命】に何らかの影響を及ぼしているかもしれません。(東京学芸大学保険管理センター)
健康で長生きしたいなら、静岡県に移住すれば良いかも。所得はどうしようもならないが、食材、気候などの恩恵は受けられそうだ。因みに、男性のワースト1位は青森県(68.95歳)、女性は滋賀県(72.37歳)。トップと3歳近くの差がある。
【関連ウェブサイト】
清水港船宿記念館「末廣」
ハローナビしずおか「清水次郎長生家」
次郎長生家を活かすまちづくりの会 募金活動
厚生労働科学研究 健康寿命のページ
東京学芸大学保険管理センター
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